夕暮れ時、小田原駅からのんびり歩いて『うをげん』へ。扉を開けると顔見知りの常連が「おー、また会いましたね」と迎えてくれた。カウンターに座り、瓶ビールをぐびり。ぷはー。おつかれサルー。ずらり並んだ短冊状の手書きメニューを眺め、楽しくも悩ましいひとときがはじまる。
ブリの刺身もイワシの刺身もすごく脂のっているよ、メヌケのアラも煮れるし、今日の牡蛎フライはとくに大粒だね……ご主人とおかみさんの言葉を聞くほどに、悩みは深くなる。選べない。決められない。そんなことを、もう6年くらい繰り返している。


結局、今夜はイワシ刺身、アン肝、牡蛎フライを楽しんだ。料理の合間に、おかみさんがきんぴらや白和え、かぼちゃサラダなどの野菜料理を出してくれる。その小皿が並ぶ様子は、スペインバルにおけるタパスのようであり、となると気分はもうビールというよりはセルベッサ。大瓶2本もあっという間にオーレ!なのである(早くも意味不明)。

もともと魚屋で、今も早朝から魚市場で競り落としてきているから、ご主人は目利きでハンパなく魚に詳しい。いまや高級地魚であるスミヤキの刺身を初めて食べたのも、ここだった。骨のつき方が変わっている料理人泣かせのこの魚を、刺身で食べられる店は『うをげん』しか知らない。
春になると、スルメイカの子がうまくなる。このあたりでは飲み屋によって麦イカ、五月イカと呼ばれていて、どちらの名前も素敵だ。『うをげん』のご主人はやわらかな皮ごとイカそうめん風の刺身にするのだが、これがねっとりと甘い。そして、煮付け。甘味おさえめの絶妙な醤油味で、プリップリのイカにかぶりついた瞬間に昇天する。これまた悩ましい二択なのだ。

そうそう、イカと言えば、ここの塩辛は、だいぶ控えめに言っても世界一おいしかったのに、もうすっかりメニューから姿を消してしまった。帰り際、そのことを聞いてみたら、「塩辛にちょうどいいイカが手に入らなくなってしまったからね」とのこと。もう5年以上作っていないらしい。あの塩辛を口にできないのは残念だけど、イメージどおりのイカがなければつくらない、というところが、さすが『うをげん』だと思った。そういう店だから、そういうご夫婦だから、ぼくはまた暖簾をくぐってしまうのだ。
うをげん 小田原市栄町3-4-19 営業時間17:00〜21:00 日曜・祝日定休、魚市場が開かない水曜は休み
*営業時間や料金、定休日などは変わっていることもあります。